2017-10

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ウルトラセブンX Episode3 「HOPELESS」

遅ればせながら、録画しておいた「ウルトラセブンX」の第3話を観ました。
今回の話は雇用問題や労働意欲を扱ったエピソードで、政府が仕事を斡旋してくれる社会の中で、厳しい労働を嫌って仕事に就かない、明日に希望も夢も持っていないという「ホープレス」と呼ばれる人々が登場します。

隕石が落下する事件が発生。しかし、ジン達に出動要請は出ません。
公園のベンチに座って時間を持て余しているジンの前に、おいしい仕事を紹介する、と言う男が現れます。
男はタマルと名乗り、ジンにメタリックな名刺を渡します。

X1

街では、脳が異常に収縮したホープレスの変死体が何体も発見されるという事件が発生。
エイリアンの仕業である可能性あり、と判断したジンとケイは調査を開始し、夜の公園で偶然ホープレス同士の喧嘩に遭遇。仲裁に入ったジン達はそこで、犠牲者となったホープレスは皆、死ぬ間際に急に金回りが良くなっていたという事を知ります。
最近犠牲者となった男の所持品から、昼間にジンが受け取ったものと同じ「タマルの名刺」が発見され、ジンとケイはホープレスを装ってタマルという男に接触し、潜入捜査を試みます。

数人のホープレス達と一緒にトラックに乗せられ、とある施設へと連れてこられたジンとケイが目にしたものは、正体不明の巨大な機械装置。
この装置が何のために作られているのか、とジンが問いかけても、タマルは、
「そんな事聞いて、どうするの?」
と素っ気無い返事を返すだけ。このときの、
「何を作るのか分からないで、働くの嫌じゃないですか」
というジンの台詞は、自分が何者かも分からないまま戦っている、自分の境遇にも引っ掛けられているもののように感じました。

「リスクは高いが、給料も高い楽な仕事」と言いながらタマルがジン達に見せたのは、大勢のホープレス達が椅子に座り、頭部に取り付けたヘッドギア型の機械から脳内のエネルギーを吸い取られている姿。
脳のエネルギーは謎の装置を運用するために必要なもので、エネルギーを吸い取られた人間は脳が萎縮して死に至るという危険な物。その中の一人がジンの目の前で倒れ、息絶えてしまいます。

X2


謎の装置は、やはり地球侵略のために開発されているもの。
タマルの正体は、マーキンド星からやって来たエイリアンでした。
ジンとケイはタマルに銃を突き付け、ホープレス達を解放しようとしますが、当のホープレス達は一人も逃げようとしません。

金さえもらえれば、人間だろうがエイリアンだろうが関係ない
どうせ未来に希望なんか無い。明日生きるための金の方が大事
地球なんか、どうなろうが知ったことではない

目先の事しか考えられないホープレス達は、命を縮めると分かっていながら、自分の意思で席へと戻っていきます。その場から離れ、追ってきたジンの前でマーキンド星人の姿へと変貌するタマル。
巨大装置の建設現場で働いていた作業員達も、ケイの訴えに全く応じようとせず、誰一人として動こうとしません。業を煮やしたケイは銃を作業員達の足元に放ち、力ずくで作業員達を脱出させます。
ウルトラアイを取り出したジンが、あの「赤い巨人」であると悟ったマーキンド星人はジンに問いかけます。
「私を倒す気らしいが、それならさっきの連中も倒すんだろうな?」
「奴等は望んで侵略兵器にエネルギーをを与えている。奴等だって私と同罪だ。違うか?」
「地球の滅亡に手を貸す人間、自らの命を売りに出す人間、お前はそんな連中のために戦うのか?」
思わず返答に詰まってしまうジン。
「何だ、単なる自己満足なのか?」
「違う!」
己の迷いを振り切ろうとするかのように、ジンはセブンへと変身。
施設の外で、マーキンド星人とセブンの戦いが等身大のまま繰り広げられます。

X3

セブンのアイスラッガーを受けて、あえなく倒されるマーキンド星人。
しかし死の間際、マーキンド星人はセブンに意外な事実を明かします。

お人好しのお前に教えてやろう。私にあの侵略兵器を頼んできたクライアント…それは、人間だ!

X4

その後、施設は閉鎖され、ホープレス達は街へと戻っていきます。
「あ~あ、楽だったのになぁ」
恨めしげにボヤく彼らには、自分らを省みる素振りは全く見受けられません。
虚しげに彼らを見送るジンの脳裏からは、マーキンド星人の最期の言葉が離れません。
そんなジンに対し、謎の女性、エレアは、
「迷っては駄目…あなたはこの世界の救世主なんだから…」
と語りかけるだけでした。


労働意欲の低下という、現実に存在する社会問題に絡めて語られた、「堕落した人間に守る価値はあるのか?」というテーマ。
ウルトラシリーズでは何度も使われているテーマで、「帰ってきたウルトラマン」の「怪獣使いと少年」や、新しいところでは「ウルトラマンマックス」の「狙われない街」などがあります。
報われない戦い、深刻なテーマに対する回答や救いが示されないまま話が終わってしまうあたりには、「大人向け」にふさわしい作りにしようという、制作側の意気込みは伝わってきました。
しかし、相変わらず淡々とした展開で、台詞回しなどもあまり深みが感じられないため、同テーマを扱った過去の作品に比べると、印象は弱めでした。
でも、この淡白さが「セブンX」独特の持ち味なのかも知れません。

あと、やっぱり気になったのは、切れ味ゼロの鈍器ラッガーですね。

ウルトラセブンX

Seven X

先々週から「ウルトラセブンX」が始まりました。
セブン40周年記念番組なのに、放送時間が深夜帯というのはちょっと残念なのですが、様々な事情で「メビウス」の後番組にはなれなかったようですね。
でも、世界観が全然違うので、下手にメビウスの後にやらなくて正解だったかも知れません。
コメントにも書いたのですが、第1話は思いっきり録画し忘れました…。
後で観られましたけど。

さて、第2話まで観た感想なのですが、何だか薄味だなぁ…というのが正直なところです。
記憶喪失の主人公と相棒、主人公を導く謎の女性。主要キャラは今のところは3人です。舞台となる世界は管理が行き届いた無機質な社会で、旧セブンのような地球防衛軍の存在も無いので、主人公であるジンは派手な制服を着ることもなく、ずっと地味な黒の服装のままです。
ジンはセブンXに変身する能力を持っているのですが、自身が記憶喪失なので、まだ出自は明らかにされていません。
地球人なのか、はたまた異星人なのか…そもそも舞台となる社会は地球なのかも定かではない感じです。旧セブンとの繋がりも不明ですが、この辺はおいおい語られると思います。
ただ、物語の流れが実に淡々としていて起伏に乏しく、キャラクターのリアクションもおとなしめなので、印象に残るような場面はまだありません。
あと、全体的に説明不足な感じがしますが、観る側の想像力を働かせるためかも知れません。

「大人向け」と称しているだけあって、オモチャ販促のための派手な戦闘シーンなどは無く、セブンXの出番は最小限に抑えてあります。
セブンXのデザインが発表されたときはやたらと叩かれていましたが、動いているところを見ると、それほど違和感は無いですね。来週は等身大で活動する姿が初披露されそうです。
ただ、切れないアイスラッガーだけは気になりました…。2chなどでは鈍器ラッガーなどと揶揄されていましたし。

まだ2話しか観ていないのですが、個人的な評価は「まあまあ」ですかね。
物語のテンションが低く、地味~で淡白ですが、嫌悪を感じるような所も今のところありませんし、普通に視聴を続けられそうです。
ただ、他のブログや2chの特撮版などの評価を覗いてみると、6対4くらいの割合で不評の方が多いみたいですねぇ。

とりあえずあと10話、どんな物語になるのか観続けてみようと思います。

仮面ライダー響鬼の事情 禁を破ってレビュー 其の3

表紙

さて、かなり間が空いてしまいましたが、前回の続きです。
クウガ」から「」まで、5年に渡って続いていた平成ライダーシリーズに代わる新ヒーローを、という企画から始まり、結局はライダーシリーズとして制作されることになった「響鬼」。
様々なキャラ&舞台設定が提案され、内容が二転三転しながら、太鼓で敵を倒す「音撃ヒーロー」という設定に行き着くまでを綴ったこの著書に対する、最後のレビューです。

「ロードムービーに憧れて」という章で、「響鬼」では主人公(戦士と少年)が全国を旅して回る「ロードムービー」というスタイルを取ろうとしていた事について書かれています。
前々回の記事でも触れたように、この設定は2003年の「仮面ライダー555」でも採用しようとして、結局は実現しなかったという経緯があります(「555」の初期数話に、その名残が見受けられます)。
なぜ実現が難しいのかと言えば、著書の中でも言及しているように、ロケ地の確保や遠距離移動に伴うスケジュール、予算調達など、1年間を通して放映する番組で行うにはあまりにも問題山積だというのが実情です。
しかし、文芸チームの大石真司氏から、
予算やスケジュールの問題は最終的にはプロデューサー・マターの懸案なので、設定を考えるのが役目の我々としては、初めから予算やスケジュールの都合を考慮に入れて設定を考えることは、あえてしないほうがいいのではないか
という提案が出され、最終的に実現はしませんでしたが、ロードムービー調を取り入れる方向へと動いていった…という経緯が書かれています。

この提言に片岡、きだ両氏も賛同し、高寺氏も多少の躊躇は見せながらも受け入れた…とあります。より良い作品を、という意気込みから出た提言だったのでしょうが、「クウガ」の頃から予算については何かと問題になっていただけに、誰かが「ちょっと待てよ」と言うべきだったかも知れません。

そして、企画当初から目指していた「ジュブナイル」というコンセプト。
正直、本編でもこの要素は活かされる事なく、置き去りにされていった感がありますが、文芸チーム内でも方向性は統一されていなかったようです。
学校から飛び出すべき」という片岡氏と「学校を舞台にするべき」という高寺氏との食い違いがあり、それが後に、二人が袂を分かつという事態に繋がっていったように思います。
それだけ「ジュブナイル」という要素は、特撮ヒーロー作品の中で扱うのは難しい題材なのでしょう。私個人としても、どちらの意見が正しかったのかは判断しかねます。

9月16日に行われたというテレビ朝日本社での打ち合わせでは、メインになるはずの高寺氏が欠席、テレビ朝日サイドと文芸チームの打ち合わせが上手くいかなかった…とあります(噛み合わないやりとりに、声を荒げるプロデューサーもいたとか)。
高寺氏の欠席理由は体調不良だったとの事で、仕方の無いことなのですが、この打ち合わせに出席できなかったのは痛かったと思います。ここでもやはり「すり合わせ」が足りなかった様子が窺えます。
我々ライター陣をつまらない政治に巻き込まないでほしい
というきだ氏の言葉に込められた「政治」とは、どういう意味だったのか…まぁ、あまり詮索するのも無意味なので止めておきます。

そして11月9日に行われた、響鬼の初お目見えとなった撮影会。
埼玉県長瀞の荒川上流で公開された響鬼のスーツと佇まいは、撮影に集まった雑誌のカメラマンや記者達にも好評だったようです。
しかし、この本の著者である片岡氏はこの撮影会の前日に、
自分のアイディアが採用されないのでヘソを曲げているようだが、そういう人がチームにいると上手く行かない
という理由で、高寺氏から解雇を告げられています。
著書の中では全くといっていいほど触れられていませんが、解雇に至るまでの間に、著者と高寺氏との間で重大な衝突があった事は容易に想像できます。「ジュブナイル」の件以外にも、根本的な主義&主張の相違があったのかも知れません。
前日から車中泊までして撮影会にのぞんだというブレックスの野中氏からかけられたという、
感無量でしょう!
という言葉を、片岡氏はどんな思いで聞いていたのでしょうか。

この撮影会を最後に現場を離れたという著者は、放映された本編の第1~2話に対する不満、矛盾点を上げて、この時期からすでに疵や綻び、行く末に対する暗雲が漂っていた…と書いています。
ヒビキが音撃棒を削るときの手つきといった細かい演出や、魔化魍との戦闘場面における展開のまずい箇所など、「クウガ」で出来ていたことが「響鬼」で出来なくなっている…という片岡氏の文章に、袂を分かった高寺氏に対する複雑な感情が見え隠れしているように思えました。

この本を購入した人が、おそらく最も知りたかったであろう、
高寺プロデューサー交代&大幅路線変更
については、あとがきで少々触れているだけにとどまっています。
番組開始後は関係者ではなくなっていた著者ですが、もともとは業界内にいた人なのですから、その後も何かしらの情報は入っていたでしょうが、デリケートな問題であるが故に、あえて自粛したのでしょう。
ネット上で飛び交った噂の中には、ガセネタに混じって「かなり正鵠を射ている」というものも混じっていたらしいのですが、真相は依然、闇の中です。

最後に、私がこの本を読んでいて、一番解釈に迷ったのが次の一文です。

―――5年前の「クウガ」のときと違って「響鬼」ではもう、番組作りを通してやりたいことが高寺氏自身の中に残っていなかった(このことは筆者が文芸チームにいたときにもしばしば話題にされ、「クウガの落ち穂拾い」と半ば自虐的に表現されていた)―――

解釈の仕方によっては「響鬼」という作品自体を揺るがしかねない文章なのですが、高寺氏はどういうスタンスで制作に携わっていたのでしょうか。
もう「平成ライダー」はやりたくなくて、「新規ヒーロー作品」になるはずだった番組を「ライダー」に変えられて気落ちしたのか、本当に作りたかったのは「クウガ劇場版」だったのか、あるいは特撮番組の制作自体、もうやりたくなかったのか…。
もし、高寺氏が「響鬼」の制作を惰性でやっていたのであれば、それは大いに問題があると言わざるを得ないのですが、高寺氏が東映を退社した今となっては知る由もありません。

3回に渡ってレビューを書いてきましたが、この本に書かれているのは、「片岡氏の視点から見た事情」です。別の人の視点から見れば、また違った事情が見えてくるのかも知れません。でも、それを目にできる可能性は、現状では限りなく低いでしょう。

長々とまとまりのない記事を書いてきました。最初から読んでくれていた人は、かなりダルい思いをしたかも知れませんが、どうかご容赦ください。
この本の出版を、特撮ライター生命と引き換えにした、という片岡氏の覚悟に少しでも報いようと、なるべく誹謗中傷にならないようレビューしたつもりでしたが、上手く書けなかったかも……ブログなんぞ書いてるくせに、文章力皆無ですから。

以上をもって「響鬼」に関する記事を終え、現在放映中の「電王」を、今は素直に楽しむことにします。

仮面ライダー響鬼の事情 禁を破ってレビュー 其の2

表紙

前回の続きです。

この本の著者である片岡力氏は、とにかく設定の細かい所まで作り込み、作品内の矛盾は極力排除し、今までにない特撮モノを…!という主義を本の中でも終始押し出しています。

ヒーローが活躍する世界観のリアリティと公然性」について書かれた章では、様々な作品例を挙げてはその特徴や問題点などを述べ、いかにして「響鬼」の世界観を構築したか…という経緯を垣間見る事が出来ます。
劇中で使う武器」についても、高寺氏が「ボバ(ボバ・フェット)度の高いアイテム」と称したように、いかにも戦闘のプロが使うような、劇中でオモチャっぽく映らないようなものを…というこだわりや、変身に用いる音叉が破損すると、変身形態にも影響が出る、などのアイディア(音叉の片方が折れると、変身後も角が一本折れた状態になり、戦闘能力も落ちる…など)などが紹介されています。

平成ライダーシリーズによくある、「都合のいいときにいつでも傷一つ無い、ピカピカの真新しい道具・武器が降って湧いたように出現する」というシチュエーションを嫌っているようで、「プロのヒーロー」を標榜する響鬼では、そういった部分をおざなりにはしない、「響鬼」はそういった他作品とは違うんだ…という意気込みで作品作りに参加していたとの事。

その他、「バイクに乗らないライダー」についても触れていて、「主人公がバイクに乗らない」という設定を伝えたところ、バンダイサイドは了承したものの、スポンサー(ホンダ&旭通信社)が離れる事を避けるために「バイク問題」を含む様々な検討が重ねられ、結局は
響鬼はバイクを運転せず、他の者の車などで目的地まで移動する
響鬼以外のライダーはバイクを運転する
という二案を採用したものの、修正が度重なり、片岡氏が念頭に置いていたという、
音のヒーローが、騒音を撒き散らすバイクに乗るのはおかしい
というテーマはフェードアウトする結果に。この件について、片岡氏がかなり不満を感じている様子が文面からも窺えました。

「龍騎」などの先代作品を例に上げ、
バイクさえ出ていれば仮面ライダーと認められるような温い状況にすすんで身を任せるのは御免蒙りたい
というメンタリティを抱えていた、と片岡氏は著書の中で語っています。
バイクに乗らないなんて仮面ライダーじゃない!」という不満は、
仮面ライダーがバイクに乗っている画があれば安心する」といった保守的なメンタリティの産物だと斬って捨てている片岡氏ですが、そう言い切れるほど単純な問題でもないのでは…と、個人的には疑問です。具体的に語ってみろと言われると上手く表現できないのですが…。

片岡氏の熱意には素直に感心させられますし、革新的なヒーローを…という意気込みは良いのですが、片岡氏が目指したヒーロー像には、メイン層である低年齢層の視聴者に訴えるための
ストレートなカッコ良さ
という部分が足りなかったのでは…と思ってしまいます。
あくまで個人的な意見ですが。

長くなりすぎてしまうので、この続きはまた後日に。
たぶん、次回でレビューは完結するかと思います。

仮面ライダー響鬼の事情 禁を破ってレビュー

昨年、とある特撮番組に関して行き過ぎた批判を書き、さらに身近で起こったみっともない事まで晒し、閲覧した方に不愉快な思いをさせてしまった事がありました。
あの時は申し訳ありません。

その時取り上げたのが「仮面ライダー響鬼」だったのですが、当分はこの作品について触れるのは自粛しようと決めていました。
が、最近になって気になる書籍が発売となりました。
その本が「仮面ライダー響鬼の事情」です。

表紙

何でも、企画初期段階から関わった元スタッフが、今まで表に出なかった舞台裏を明かす、
東映非公式本
だというではありませんか。

昨年の反省で、ただ罵倒するだけではなく、多少は「歩み寄りの姿勢」を持とうと思い、店頭で見かけたこの本を購入しました。
値段は税別で2400円。高いなぁ…まぁ「非公式本」だし、しょうがないかな?などと思いながらページをめくり始めました。
ちょっと自信がありませんが、個人的な好き嫌いは置いといて、なるべく客観的にレビューをするつもりです。

さて、最初に言ってしまうと、この本は所謂「暴露本」ではありません。
響鬼という番組の企画立ち上げから、実際に撮影に入るぐらいまでの経緯をまとめた、
響鬼前史」という感じでしょうか。
企画当初は「仮面ライダー」ではなかった…というのは以前から噂に上がっていましたが、当時一番の有力候補が、
変身忍者 嵐」のリメイクだったというのは初耳でした。
2004年当時放映中だった「仮面ライダー剣」が不調で、2000年の「クウガ」から5年目に突入し、新鮮味を失いかけていた平成ライダーに代わる新しいヒーロー番組を確立する、という意気込みで始まった企画であった事が記されています。
「非・ライダー」を強く主張する高寺氏をはじめとする文芸スタッフと「ライダー継続路線」で行きたいバンダイ側の衝突、一時は新ヒーロー制作で決定したものの、後にひっくり返されて、結局はライダー作品を作る事になってしまった…とあります。
ライダーに頼らず新しい道を拓こうという姿勢は賞賛に値しますし、スポンサーサイドの意向に翻弄された憤りも痛いほどよく分かりますが、いろんな意味でコミュニケーション不足だったのかなぁ…という印象も抱きました。

そんな流れの中、様々なアイディアが提案されては消えていったわけですが、その中の幾つかが本の中で紹介されています。
興味深いのは、没となった案のいくつかが、現在放映中の「仮面ライダー電王」に活かされている点です。

新ヒーローとなるキャラの「元ネタ」を明らかにし、アピール力を高めてはどうかという提案があり、「アラジン」や宮澤賢治作品など、様々な作品を検討したが、「視聴者の期待感に必ずしも結びつかない」という結論に達し、名作古典に準拠するという案は見送られた…とありますが、このアイディアは「電王」で若干形を変えて取り入れられています。
ソードフォーム=モモタロス=桃太郎
ロッドフォーム=ウラタロス=浦島太郎
アックスフォーム=キンタロス=金太郎
ガンフォーム=リュウタロス=竜の子太郎
といった感じで、童話のキャラを取り入れたネーミング&デザインを採用しています。

もうひとつ、没となった案の中に「本来醜悪な姿をした怪物が端正な仮面を被ってヒーローになる」というものがあり、これは高寺氏が強く推したものの、主演の細川茂樹氏の甘いマスクでヒーローの面立ちが決まっていくのに従い、設定が雲散霧消した…とあります。

このアイディアも「電王」に取り入れられ、話題を呼びました。
主役ライダーの電王は、プラットフォームと呼ばれる基本形態に加え、主人公・野上良太郎に取り憑いた「イマジン」の力を借りて各フォームに変身します。
変身後は、そのフォームの基となったイマジンの人格になるので、「響鬼」では企画段階で没となった、
「異形の怪物=ライダー(ヒーロー)」という図式が実現しています。
「電王」にも佐藤健氏が演じる野上良太郎という甘いマスクの主人公が存在しているのですが、良太郎とイマジンが「憑依」という形で一体となる事で処理しています。
この設定は、やはり「響鬼」の企画段階で消えてしまった、
「逆・桃太郎(ヒーローと敵は同族)」
というアイディアも同時に取り入れる事に成功しています。

その他、「仮面ライダー555」でも検討されたという「ロードムービースタイル」は、様々な事情があって実現しなかったのですが、これが「電王」で形を変えて、時空を移動(旅)する設定=「時を旅する列車・デンライナー」になったのかな…などと想像しています。
まぁ、これはさすがに考えすぎでしょうけど。

こうやって考えてみると、「響鬼」はある意味「電王」にかなり貢献している存在である、とも言えますね。

長くなってしまったので、レビューの続きはまた後日に。

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