2017-08

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日航機墜落事故 20年目の夏

1985年8月12日、群馬県上野村の御巣鷹山に日航ジャンボ機123便が墜落するという事故があり、520人もの犠牲者を出す大惨事となりました。
生存者はわずか4名。救助活動には自衛隊も出動し、遺体の身元確認など事態の収拾に4ケ月もの時間が費やされました。
犠牲となった乗客の中には歌手の坂本九さんら著名人も含まれていました。今でも現場には事故の爪跡が残っていて、時折部品や遺骨らしき物なども見つかっているとの事です。

当時、私は小学生でした。夏休みの最中で、とても暑い日だったのを覚えています。最初に見たのはニュース速報だったと思います。夕食時に流れたその内容は、日航機が行方不明になったというものでした。
そして、その飛行機はどうも墜落したらしいという報道が流れ始め、墜落現場がほぼ特定出来たというニュースを聞いたところで「もう寝なさい」と親に言われ、日航機の事が気になりながらも布団に入りました。

翌朝、新聞やTVのニュースが伝えている報道は最悪のものでした。乗客は全員絶望、墜落した現場が山の尾根であったため、救助活動も遅れてしまっている…。次々と報じられる惨状に呆然となり、ろくに朝食も食べずにTVに釘付けとなったものです。
そのうち、生存者がいるとの情報が流れました。たったの4人でしたが、生き残った人がいたのです。その中の一人である川上慶子さんは自分と歳も近かったせいか、強く印象に残りました。最近、雑誌で近況を知りましたが、ご両親と妹さんを亡くし、ひとりぼっちで立ち直るのは容易ではなかったはずです。現在は普通の生活を送られているとの事ですが、亡くなられたご家族の分も含めて、幸せに暮らして欲しいと願って止みません。

その後、某写真週刊誌で事故現場の写真を見ました。現場の惨状は想像を遥かに超えるものでした。
折り重なって息絶えている乗客の人達、土中から突き出した足、黒焦げになって木の枝に引っかかっている遺体…まだ小学生だった私にはショックが強すぎる写真でした。事故で人が死ぬというのはこういう事なんだと、その時初めて思い知らされました。
そんな悲惨な事故で大切な家族や友人を亡くされた人の悲しみは、言葉で言い表せるものではないでしょう。あれから20年が経ちましたが、現場に立てられた慰霊塔には今日も多くのご遺族の方が訪れていました。

最近、日航機のトラブルや、日航社内の揉め事が頻繁に報じられています。つい最近も、機体から部品が外れて落下し、他の航空機がそれを踏んで車輪がパンクするという事故が起きています。
どうしてこんなに空のトラブルが続発するのか、御巣鷹の教訓が全く生かされていないではないかと非難の声も上がっています。
あの悲劇を二度と繰り返して欲しくない、と遺族の人達は口を揃えて訴えています。日航をはじめ航空会社の人達は、その声を無にしてほしくないものです。

最後に、日航機事故で亡くなられた方達のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
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